文庫 ¥308. この記事では本作の見所、謎を徹底考察!作品のテーマから、「スチャラカチャカポコ」という擬音、脳髄論や胎児の夢などの独特の設定まで解説します。, 冒頭、「ブウウーーーン」という独特の時計の音で目を覚ました主人公の「私」。精神病棟の中にいるのですが、自分の過去をすっかり忘れているばかりでなく、名前も思い出せません。出だしから何やら不穏な空気が流れます。, ストーリー序盤に出てくるこの印象的な時計は、モデルとなった柱時計が、2014年に夢野久作の遺品から発見されて話題となりました。, そして私は、九州大学の法医学者、若林教授から、ある殺人事件に関わっていると教えられます。彼の記憶が有力な手掛かりになると、回復を期待されますがなかなか記憶は戻りません。やがて私の前に、死んだはずの天才医学者・正木教授が現われて……。, 正木教授は研究のためと頭がおかしくなるようなことをし続けてきたり、私を「お兄様」と呼んで慕う妹は終始泣いていたりと、主人公にとって苦難の1日が幕をあけます……。, 難解で頭がおかしくなる、読んだら狂うなどとの噂もあり、読むのをためらってしまう方も多いかもしれません。, しかし「ヤンデレな妹との物語」とする読み方や、「不可思議なミステリー小説」「中二病っぽい」などという感想もあり、そう聞くと何だかとっつきやすい気がするのではないでしょうか?多様な読み方を可能にするのが、この作品の魅力、自在さの証でもあります。, ちなみになにより気になるのは独特なタイトルの意味ですが、なんと明かされていません。こちらも読者の想像を掻き立てますよね。, 本名は杉山泰道。1889年、福岡市に生まれました。大学を中退し、禅僧として出家しましたが後に還俗。1922年、童話を発表し、1926年から本格的な作家生活に入ります。その後10年間意欲的に創作しますが、1936年、脳溢血で急死しました。, その作風は、探偵小説の枠から逸脱した、奔放怪異な作風で知られます。日本探偵小説三大奇書の1つ『ドグラ・マグラ』は10年間かけて何度も書き直されたもので、まさに命をかけて書かれた作品です。, また、本作のほかに『死後の恋』『人の顔』などの代表作があります。『死後の恋』では、ある宝石を軸に、猟奇的ながら美しい世界観を描き、『人の顔』では二重の意味でホラーなエピソードで読者をアッと驚かせます。, また、夢野久作という名義以外でもいくつかのペンネームで活動しています。特に香倶土三鳥(かぐつち みどり)名義のものは童話ということもあり、彼の世界観が怖くて手を出しづらいという方にはおすすめです。, 探偵小説として発表された作品で、殺人事件を推理、解決することがテーマの1つなのですが、主人公の「私」は一体何者なのかということが、本人にとって切実な問題であり、読者の大きな興味となります。, 若林教授から、「私」は正木教授の新学説をもとにした画時代的な治療法「解放治療」の実験材料だと聞かされます。記憶を呼び戻そうと、若林教授は「私」を様々に刺激しますが、一向に記憶は戻らず、「私」を「お兄様」と読んですがりつこうとした隣室の美少女も誰だかわかりません。, 正木教授の部屋で遺稿を読むと、自分の母親と婚約者の従兄弟を殺した呉一郎(くれ いちろう)という青年の顛末が載っていました。それによると、一郎は自分の意図で2人を殺したのではなく、正木教授が「心理遺伝」と呼ぶ現象を利用した何者かに操られて殺人を犯したというのです。, どうやら、この一郎が「私」らしいと思い始めた時、若林教授からは死んだと聞かされていた正木教授が私の前に現われます。正木教授に促されて窓から解放治療場を眺めると、何とそこには「私」そっくりの一郎がいるではありませんか。正木教授はそれを離魂病などと言い、「私」は益々混乱の度合を深めるのでした。, 正木教授の卒業論文が本作ではひとつのカギを握っています。「胎児の夢」というタイトルで、その破天荒な形式と内容のため、全教授が学術的価値を否定しましたが、ただひとり斎藤助教授だけが絶賛して譲らず、とうとう第1位の成績で卒業したのに、式の当日、正木(当然まだ教授ではない)は行方をくらましました。, その後、欧米で学位を取り、こっそり帰国して放浪していた彼が歌いながら配布していたのが「キチガイ地獄外道祭文」です。, 祭文というのは、語ったり歌ったりして祈る一種のお祈りの形式で、陽気な節や拍子をつけたものが多いのが特徴です。, 「キチガイ地獄外道祭文」も、スチャラカチャカポコという木魚のリズムとともに七五調でユーモラスに歌われますが、その内容は、現代社会における精神病者虐待の事実と、治療のデタラメさを暴露するものでした。描かれているのは大正時代ですが、精神病患者への偏見と迫害は、ある程度現代にも当てはまります。, もっとも、読者はここから警告や告発を読み取るよりは、正木教授の攻撃的な正義感と、その方法の奔放さ、独自さに注目するべきでしょう。, 「脳髄論」と「胎児の夢」は、正木教授の書いた論文の題名です。もちろん、小説内の架空の理論ですが、あながちまったくの目茶苦茶とも言えません。, さて、物語は、主人公「私」の自分捜し、殺人事件の真犯人捜し、正木教授の奇怪な精神医学理論、この三本を柱にして進んでいくのですが、そのいずれもが解決していないうちに、後半になってさらに奇怪な様相を見せ始めるのです。, 若林教授と正木教授は、実は学生時代からのライバル関係で、ほとんど憎み合っていると言ってもよいほどだったことが明らかになります。若かった2人は、それぞれに心理遺伝の理論を実証するために、ある特殊な血筋の女性を誘惑しようとした過去があります。, その女性こそ、呉一郎の母親・千世子であり、一郎の父親は若林と正木のいずれかなのでした。2人は学術においても、人情においても宿敵同士だったのです。, 物語は正しい答え、ただ一つの現実に辿り着くことを拒むように、決着から逸れていき、曖昧さを増していきます。メタフィクションという言葉が一般化するのは、1983年の高橋康也の言説以降と言われていますが、1935年に刊行された本作は、すでにメタフィクション的です。, 実は、それを象徴するアイテムが作品の序盤でちらりと姿を見せています。それは、正木教授の部屋にあった精神病の入院患者が書いた小説で、題名は『ドグラ・マグラ』。『ドグラ・マグラ』の中の『ドグラ・マグラ』という入れ子構造は、現代のメタフィクションを先取りしています。, 前述したようにこの作品は、十年の歳月をかけて何度も書き直され、何種類もの草稿、つまり下書きがあり、その中には活字にはならなかった「はしがき」もありました。, 病院に閉じ込められている主人公の私が、この作品を外の世界に向けて書く、というような作品の成立経緯が説明され、本文の解説もありました。読者を誘う導入として考えていたようですが、残念ながら破棄されたようです。, より多様な読み方ができるように、また、どこにも辿り着かない迷宮的な酩酊感を強める目的で、内容を限定する物を取り除いたとも考えられますね。, これは、若林教授が私に「ドグラ・マグラ」という言葉の意味を説明した言葉。元々はバテレン、つまり西洋人の妖術のようなものを表す方言でしたが、ここではそんな意味なのだそうです。, 論文「胎児の夢」において、胎児はなぜ夢を見るのかという疑問を語るところ。結局答えは出ません。, やはり「胎児の夢」で、たった1つの受精卵から、1人前の人間が出来上がる能力をこう呼んで賞讃しました。DNAが発見される何十年も前にそれを予言したかのようです。, 一般に探偵小説とか推理小説とかいうものは、結末や犯人が分かることにカタルシスがあるものですが、この作品は、分からなくなることに快感がある作品。悪夢的な迷宮に入り込み、どこまでが現実でどこまでが幻なのか、その境界が曖昧になる面白さです。, 「意味不明」「異常」「頭がおかしくなる」などの恐ろしい感想が多く、ここまでの考察でも難解な印象を受けて読むのをためらっている人も多いかもしれません。そんな方におすすめなのが、漫画版の『ドグラ・マグラ』です。, 物語の大筋は変わりませんが、なんといっても本作の魅力は読みやすくアレンジされていること。おどろおどろしい雰囲気は抑えられ、読み手を混乱させる時系列の経過も整然としており、「スチャラカチャカポコ」部分などの大幅なカットにより、とても読みやすくなっています。独特のねっとりした空気感もなくサスペンスとしての面白さが前面に出ています。, しかし、読み手を混乱させる要素や、カットされた部分、何ともいえない空気感こそ、本作の魅力だともいえるので、そこはぜひ文章で読んでほしいところでもあるのですが。, 興味があるけど少し怖い、という方に入門書としておすすめしたいのが漫画版『ドグラ・マグラ』です。, ホンシェルジュはamazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。. 夢野久作氏はドグラ・マグラを刊行後、翌1936年3月11日に亡くなっています。 ・・・・・・やばくね? と、思いつつもワタクシ読了いたしました。 一作品約5分程度で大まかな概要について捉えることができるように作成しています。 [さ] 『ドグラ・マグラ』は断じてエロ本ではないのだが、その表紙絵の淫靡さは女子校育ちの高校生にはいささか刺激的すぎた。 飛行機の中ででかい声で「エロ本」と叫ばれ、わたしは慌てた。 痴人の愛、脱亜論、坊っちゃん、社会契約論、ガリア戦記などなど本当に色ーんな作品が漫画になっています。これ、全シリーズ揃えたいところなんですけど100冊超えてるんですよねー。図書館にもないんだよなあ。でもいつかは全て揃えたい。, 物語は一人の青年が目覚める所から始まります。 [た] [は] 朋来堂で酒を飲んでいて、友人にいくつか note のアイディアをもらったので、今回はそのうちの一つを書いてみる。わたしとドグラ・マグラの話。, ミステリ好きたちと話していると、「三大奇書は読んだか」という話題になることがある。三大奇書とは、夢野久作の『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』、中井英夫の『虚無への供物』のことで、竹本健治の『匣の中の失楽』を加えて四大奇書と呼ぶこともあるが、いずれにせよわたしの答えは変わらない。すなわち、「どれも読んでいない」。, 前述の四冊のうち、唯一『ドグラ・マグラ』だけは読もうとしたことがある。高校生二年生のときのことだ。, 修学旅行で、カナダに行くことになった。日本から飛行機でおよそ9時間。カナダ国内でも飛行機の移動があるという、とにかく移動の多い旅程だった。手荷物の中に、文庫本を三冊忍ばせた。その中の一冊が、『ドグラ・マグラ』の上巻だった。他の本が何だったか、今ではもう思い出せない。, 読むと気が狂うだとか、精神がおかしくなるだとか、ネット上には『ドグラ・マグラ』に関する胡乱な噂がたくさん転がっていた。そういうものを見て、当時16歳の少女だったわたしは興奮した。ちょっと背伸びをする気持ちがないでもなかった。いや、多分結構あったな。, カナダへ向かう飛行機の中で、わたしは『ドグラ・マグラ』を読み始めた。当然だが、本を読んでいるのはわたしだけで、みんなウキウキとおしゃべりをしていた。ブウウ――――――ンンン……飛行機の音ではなく、『ドグラ・マグラ』である。チャカポコチャカポコ……チャカポコってなんだ……なんの音なんだ……カナダは寒いのだろうか……チャカポコ……ホームステイ嫌だなあ、英語しゃべれないのに……チャカポコチャカポコチャカポコ…………, チャカポコの渦に囚われていると、隣に座っていた快活なクラスメイトがわたしの手の中の本を見咎めた。わたしは少し逡巡してから、正直に『ドグラ・マグラ』、と答えた。しかし彼女はそれで満足してくれず、あろうことかわたしから本を取り上げたのだった。そして、その表紙を見た瞬間(ブックカバーはつけていなかったのだったか、覚えていない。いずれにせよ迂闊であった)、素っ頓狂な声をあげた。, 『ドグラ・マグラ』の表紙、といえば、ピンとくる人も少なくないと思う。半裸の物憂げな女性が描かれているもので、その陰部は「角川文庫」という長方形の帯で隠されている。なぜ?, 『ドグラ・マグラ』は断じてエロ本ではないのだが、その表紙絵の淫靡さは女子校育ちの高校生にはいささか刺激的すぎた。飛行機の中ででかい声で「エロ本」と叫ばれ、わたしは慌てた。自分とエロとを結びつけるという行為に対して必要以上に敏感なお年頃だった。エロは罪であった。, 返して、と言ったのだったか。わたしがどういう反応をしたのかは、記憶からすっぽり抜け落ちている。覚えているのは、わたしの『ドグラ・マグラ』が、その周辺のクラスメイトたちの手から手へと渡り、最終的にわたしたちの少し後ろに座っていた担任教師の元へとたどり着いたということだ。「先生、◯◯さんがヤバい本読んでました」とバスケ部が余計なことを言った。てめえ、とわたしは思った。先生は『ドグラ・マグラ』を見て「ああ、◯◯だったら仕方ないな」というニュアンスのことを言った。どういう意味だよ。いま冷静に考えると、先生も『ドグラ・マグラ』を読んだことがなかったのではないかと思う。『ドグラ・マグラ』を読んだことのある大人はそう多くないというのを、今のわたしは知っている。, その後、『ドグラ・マグラ』はたくさんのクラスメイトたちの手を渡って無事にわたしの手元に返ってきた。しかし、幾人もの手によって蹂躙され、辱めを受けたそれを、改めて読む気にはなれなかった。でもここでかばんにしまい込むのも負けたような気がして、全く頭に入ってこないチャカポコチャカポコ……を見つめ続けた。そのあとすぐに飛行機が気流の影響でとんでもなく揺れ、クラスメイトが酔って吐いたので、わたしが「エロ本」を読んでいるという醜聞はすぐに忘れ去られた。, 修学旅行を終えてカナダから帰国しても、わたしは『ドグラ・マグラ』を読み直さなかったし、下巻を買うこともなかった。実家には今でも『ドグラ・マグラ』の上巻だけが本棚に刺さっている。目に入るたびに口の中が苦くなる。, 三大奇書を読んでいないというのは、ささやかなコンプレックスだったりもするのだが、さりとて今さら読む気も起きない。わたしはこれからも『ドグラ・マグラ』を途中で挫折した人間として生きていく。, あれやこれや心のおもむくままに綴ります。身になること、ためになることは語りません。すべて個人的なことです。ところどころフィクション。. こんにちは、令和寛(TAGA)です。今日は、読むと一度は精神病をきたすと伝えられる、夢野久作の大作『ドグラ・マグラ上』について論文メインでお伝えできればなと思います。, 時間のない方のために純文学の要約を作成しています。 青黒いコンクリートの壁で囲まれた二間四方ばかりの部屋。三方の壁には黒い鉄格子と鉄網で二重に張り詰めた窓が取り付けられています。窓に顔を映してみても自分が誰なのか分からない。何故ここにいるのか分かりません。青年は記憶を喪失していました。, 「お兄さま、お兄さま、お兄さま。・・・・・・モウ一度・・・・・・今のお声を・・・聞かしてエーッ・・・・・・お隣のお部屋にいらっしゃるお兄様・・・・・・あたしです。お兄様の許嫁だった・・・・・・あなたの未来の妻でしたあたし・・・・・・あたしです」, 青年は返事をしようとして思いとどまります。彼女の言葉が真実かどうか分からないからです。記憶喪失で彼女の顔も思い出せません。, 彼女はここが病院で、青年が返事さえすれば二人とも精神病患者ではないことが分かり退院出来ると言います。しかし、それがはたして真実なのかどうか。青年は、自分の過去の真実の記憶として呼び起こし得るものはタッタ今聞いた・・・・・・・・・ブウウ―――――――ンンン――――――ンンンン・・・・・・・・・・・・・・・。という時計の音一つしかないのです。, しばらくして若林博士という男性が現れ、「九州帝国大学法医学教授 医学部長 若林鏡太郎」と書かれた名刺を渡されます。, 若林博士は一ヶ月前に亡くなられた正木敬之の代わりにやってきたことや、ここが九州大学精神病科の第七号室であること、空前の犯罪事件に青年が関わっていたことなどを教えてくれます。しかし、青年が自分の名前を教えてもらおうとすると口をつぐんでしまいます。青年は新聞記事や論文などを手がかりに自分が何者であるかを探っていくことになります。, 漫画版では青年だけの視点ではないため割と全体像がつかみやすくなっていますが、原作の方は青年の視点だけで描かれているため、何が真実なのか分からない状態がずっと続きます。漫画版も一応真実が描かれているように思えますが、これが真実なのかというと解釈が分かれるところだと思います。, というのも、読者は青年と様々な情報を得ていきますが、一度分かった気になったことが覆されることが多々あるのです。情報を得れば得るほど訳が分からなくなっていきます。最初に出会った若林博士が全て真実を語っているかというとそうでもない。記憶喪失な上に密閉された状態では、どんな情報を仕入れようとも何も判断することが出来ないのです。, それこそ、自分の過去の真実の記憶として呼び起こし得るものは時計の・・・・・・・・・ブウウ―――――――ンンン――――――ンンンン・・・・・・・・・・・・・・・。という時計の音一つしかないのです。, それこそ、自分の過去の真実の記憶として呼び起こし得るものは時計の・・・・・・・・・ブウウ―――――――ンンン――――――ンンンン・・・・・・・・・・・・・・・。, 彼女はここが病院で、青年が返事さえすれば二人とも精神病患者ではないことが分かり退院出来ると言います。しかし、それがはたして真実なのかどうか。青年は、自分の過去の真実の記憶として呼び起こし得るものはタッタ今聞いた・・・・・・・・・ブウウ―――――――ンンン――――――ンンンン・・・・・・・・・・・・・・・。, 大阪・京都・神戸・東京・横浜・名古屋で読書会を開催・本が好きな方が本について好きに語れる居場所コミュニティ・読書サークル. [か]

ドグラ・マグラ: 作品名読み: ドグラ・マグラ : 著者名: 夢野 久作 [ファイルのダウンロード|いますぐxhtml版で読む] 作品データ.